七人居た親父の最後の一人だった親父が逝ってしまった

投稿日:2019年5月10日

更新日:2019-11-22T14:42:40Z

小生の出来事

t f B! P L
今までに自分の親父や女房の親父を含めて小生には親父と呼べる方が七人居た。

六人は既に天国へ旅立つてしまって居る。

入社以来仕事を教えて貰ったり仲人をして貰った最後の一人が5月5日に逝ってしまった。

ここ何年かはお目にかかれて居なかった。元気だとばかり思って居たのだが一年前くらいから病んで居たと昨夜親父の家族から聞いた。

昨日会社で作業をして居て休憩中に兄貴から、Aさんが亡くなったらしいよ。と、、、。

5日に亡くなって、家族葬と言う事で身内だけで送る。と言う事で誰にも言わないで欲しいと。言われたとAさんの近くに住む人から聞いたと教えてくれた。

初めは冗談だと思って居たが、冗談じゃなく本当らしいよ!と、、、。

昨日聞いたので仕事が終わり、直ぐに家に帰って喪服に着替えてからAさん宅に行った。

Aさん宅は親父が乗って居た車が車庫に入って居た。家の周りには一台の車も止まって無く、家は留守かな?と思うくらい静まりかえって居た。

家の前に車を止めてから玄関のチャイムを押した。反応が無くもう一度押そうとしたら、ハイ!と返事が返って来た。

⚪️⚪️です。と自分の名前を言うと、あ〜ハイと直ぐ解った様な声がして直ぐドアが開いた。そこには息子が居た。

亡くなったと聞いたけど?と小生。

そうなんです。昨日家族で済ませました。
亡くなる前に本人がもし何かあったら皆には言うなと、何度も念を押す様に言うから家族で見送ってくれればいいからと、、、。

⚪️⚪️さんには?と言ったんですが、⚪️⚪️にも言わなくていいからと、、、。
一応遺言なんで誰にも連結しなかったんです。と息子が、、、。

取り敢えず上がって下さい。と言われ、花で囲まれたお骨が置いてある部屋に、遺影の前で線香を上げ手を合わせる。

遺影を暫く見ていると奥さんと娘も何時しか背後に居られた。
先ず挨拶を済ませると、連絡しなかった事を詫びられた。

兎に角頑なに皆には言うな!と言って居たとの事。

逝った前の日には孫たちも全員顔を合わせ話しが出来たと言う。そしてその夜は息子が付き添い、急変したらしい。直ぐに家族に連絡し奥さんと娘、息子に看取られた。

ここ二年くらい前から調子を崩し、ここ一年で急にひどくなって入退院を繰り返して居たと言う。今年も1月に調子を崩し救急車を呼んだと、入院し退院しても家で寝たり起きたりと、あまり調子は良くなかった様だ。

一カ月前くらいから食べられなくなり体力も落ちて入院して居たと、そして5月5日の日に天国へと旅立った。

診断書は肺炎になって居るが、本当の病名は難しく長いもので覚え切れないと、簡単に言うと肺に細菌?バイ菌?が入ってどうする事も出来なかったらしい、、、。

奥さんが看病疲れか?、いろんな事による心労か?憔悴して居る気がした。家族の心労を思いやれば長居は出来ず、奥さんに気を落とさない様にと言い、娘と息子にはお袋を見守ってくれと言い、親父のお骨が入った箱に手を添えて、色々と有難う!お世話になりました。と最後の別れを言い、お盆に線香を上げにゆっくり来させて貰うからと言い部屋を出た。

玄関まで皆で見送ってくれて、奥さんは脚や腰を病んでいるので申し訳ないけど此処で失礼させて貰います。と、息子と娘は玄関を出て車まで見送ってくれて、走り出すと二人して頭を下げ居るのがバックミラー越しに見えた、、、。

普段から細身の方だったが、最後はガリガリだったと、そんな自分を見せたくなかったんじゃ無いかな?と奥さんが言って居た言葉が、微笑んで居る遺影の写真とが暫く頭の中で渦巻いて居た、、、。

残念で中々昨夜は寝付けなかった、、、。

と言う事で、大切な人をまた一人失った。

どうか安らかに!
                         合掌

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鮎の友釣り! チーム舞のレポート

このブログ「鮎の友釣り!チーム舞のレポート」は、鮎の友釣りを生き甲斐としている”Gin”が書いています。2007年のブログサイト開始時から鮎釣り釣果や自宅の寄せ植えなど、趣味を交えて、自身で経験したこと起こったことを綴っています。


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