7年前のあの日は日立の会社に小生は居た。
あの頃は過去の10年間を平均すると年間167日出張らに出て居たが、その日はたまたま社内に出社して居た。
あの時間はデスクでPCと睨めっこして仕事をして居た。すると小さな揺れが少し続いた後大きな揺れが来て、部屋の中で様子を見て居た仲間と共にPCを押さえたりして居たが、物が落ち始めたりしたので全員で外に出た。
揺れが落ち着き事務所の中へ入るとラックが傾いたり物が落ちて居たりで足の踏み場も無い状態だった。床は盛り上がったりして居た。
直ぐに緊急体制がひかれ、工場の従業員全員が集合場所に集まり点呼が始まった。
誰も怪我人は居無い事も確認された。
その後各担当者は被害状況の確認をするが、余震が予想されたので安全が確保出来る範囲での確認作業となった。
全体集会後は一般の従業員は帰宅指示が出て、家族と確認を取り、必要な物があれば会社内から借りて帰って行った。
小生は現場内を確認して歩き、先ずガスの元栓が閉まっている事を確認する。その後各スイッチ類の確認をして、入ったままの状態だったものはOFFにして歩いた。
現場の中は地割れも酷く、柱なども傾いたり、スレートも割れたりして居た。ブロック等の高いところに置いてあった重量物の部品も幾つかは落ちて居たりした。
細心の注意をして確認作業をした後、上司に報告してマンションに帰った。
マンションへ帰り、部屋の中を確認するとテレビが落ちて居たり、ポットが転がって居たが大きな被害は無い様だった。
次に直ぐに行動を起こしたのは燃料の確保だと思いスタンドに行った。早い対応だったのでスタンドでも約一時間くらい並んだと思うが、ガソリンは満タンに灯油は20リッターのポリタンいっぱいに買う事が出来た。
その帰りに、既に停電して居たが開いているコンビニとか雑貨屋とか個人商店を周り、トイレットペーパーやポケットティッシュや缶詰めや水、カップラーメンや駄菓子を買った。
その夜は停電だったがマンションのガスは使用出来たので、解け始めた冷蔵庫の中の食材を使ってローソンと懐中電灯やバーベキュー用のライトをその状況に応じ使いながら食事を作り食べた。
翌日はたまたま貰った自転車があったので、それがフル活躍した。
翌日まず最初に行なったのが会社へ行き、会社全体の被害状況の確認をした。小生がそんな事をする立場では無いが、昨夜東京営業部の釣りの弟子のA君から小生が居る工場だけ被害状況が入って来ないので営業本部で各工場の被災、被害状況を纏めて居るが解らないと言う事だった。A君は愛川に工場があった時の自衛消防隊の副隊長で、小生が隊長だった。そんな事から小生に確認を依頼してきたのだろ。
翌日会社に行くと守衛さんが立ち入り禁止だと言うが、事情を説明し立ち入りを許可して貰った。カギを受け取り設計部や検査部、総務部が入って居る建物の中へ、その後工場全てを周り小生が確認した範囲で営業本部のA君に連絡を入れた。
その内容を纏めて、小生の上司でもある消防隊長にも、その旨を話し報告した。消防隊長によると本社に報告してあるが、なんで営業本部に伝わらないかは解らないと言う。
その日はそれで帰宅する事に、被災当日から色々な人から連絡を貰って居たので、その人達と連絡を取り、居酒屋やスナックなど店の片付けをして居る処へお邪魔して、手伝っ
たりして、帰りに水やカップ麺、停電して居るので冷蔵庫や冷凍庫の中の食材を貰って帰った。
トイレ用の水は大きなビニール袋を段ボール箱や釣り用のバケツ等に入れて、近くで湧き出て居る場所に汲みに行った。近くに有るのでそんなに多くは汲み置きしなくても済んだ。
愛川の自宅に戻りたかったが、常磐道が通行止めだったし、国道や市道も多く亀裂や土砂崩れが発生し通行が困難だったので自宅に戻ることは諦めた。
三日目からは飲み屋関係者から、炊き出しのカレーや豚汁等を差し入れして貰い食事には苦労しなかった。
小生が一番苦労したのは洗濯物かなぁ?、着替えは1週間分しかないので、下着だけ風呂場で洗濯して、その後は買ってしのいだのが現実だ。
余震も頻繁にあり、津波が来ると言うので高台に避難も経験した。日立は割と早く電気も復旧された。小生のマンションではガスと電気が使える状態だったので、他の地区よりは良かったと思う。
5日目位からは会社へ行き、一人で自分の事務所の部屋の片付けをして歩いた。時々会社の様子を見に来る人たちと話をすると、両親や子供がいる人達はみんな思うように食材が調達出来ないと口にするので、小生が色んな人達から頂いたカップ麺や菓子パン等を分けてやった。
その後落ち着きてから、ある居酒屋で罹災証明書の申請をすると言うので、一緒に申請して貰った。これには随分と助かった、二週間後に自宅に戻れる様になったときに高速道路が無料になったり割引されたりした。
被災後に自宅に戻り一番に感じたことはなんでもない平凡な事がどんなに幸せな事か。家族と一緒にいる事がどんなに癒される事か。
娘は震災時に会社のエレベーターの中に6時間閉じ込められたと言っていたし、息子は都内で帰宅困難者となり、大勢の人と歩いて行けるところまで帰ろうとしたが決局途中の避難場所で一夜を過ごしたと。
小生が自宅に戻るときは会社の同僚からシートを買って来て欲しいとか、土嚢袋とかカップ麺、卓上コンロとか色々な物を頼まれた。
書き切れないのでこの辺にしますが、昨今色々は場所で様々な災害が発生して居ます。7年前を思い出し、それぞれがいざという時如何するか?、どう備えるかなど考える、話し合う時間を持ちましょう。
そして変凡な日々が、家族や仲間がどんなに大切で幸せな事か、再確認する機会だと思います。
最後に昨今色々災害で亡くなられた方々へ合掌。
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