今朝は小雨が降っていたが会社に着く頃には止んで太陽が出て来た。
親方は土曜日の代休で休みだ。代わって親方を務めるのは兄貴だ。今日は4名のローテーションだ。
大物品はオヤジ2人に任せて、兄貴は柱やブラケット類の整理と補充を、小生は足場板の整理と補充を担当する。
大体全体の整理と補充は昼前に終わった。午後からは兄貴の指示でそれぞれ塗装に入った。
小生は新品の材料を整理したり、あふれている材料をまとめて束ねたりして、15時の休憩後から小物品の塗装に入った。
定時で上がり17時20分には家に帰った。
家の中へ入り玄関のカギを掛けようとすると女房が、荷物が届くからカギは閉めないで!と言う。
テーブルの上には不在票があり、Sさんからの荷物だって!と女房、電話したからもう来ると思うよ。と、、、
小生は弁当箱と水筒を取り出しテーブルの上に置き風呂へと直行する。
風呂から上がると大きな箱がリビングに置いてある。りんごだ、、、。
箱には奥久慈りんごと書かれていた。
S君とはそれ程、付き合いは永くはないが中身が濃い付き合いをしている。そして職場も違う。
それは今ではなく、小生が日立市に勤務していた時の話だ、、、。
在職中は職場も違っていた、S君がいつ頃から其処に居たかは定かではない。がエリートだったのは確かだ、、、。
最初の仕事が何だったのかも今は覚えていない。が彼とタックを組んで仕事をしたのは2013年夏の陣だ。
この年、2013年6月18日からだったか?、大きな仕事で大阪へ出張した。小生が任務を終えて帰社したのが8月10日頃だったと思う。
この仕事のプロジェクトマネージャーがS君だった。もちろんこの期間が現地での作業と言う事なので、プロマネは設計段階やその前の受注から打ち合わせ等々も含めてすべてを担当し纏めるのを生業としている。
特に小生とは組み立て段階と現地工事でS君は参謀で司令官だった。工事長として赴任した小生はどんなに助けられただろうか、言葉では言い表せない、、、。
お互いに信頼し合えたのはこの頃からだろうか??。彼がここの工場へ来てから、我々が手掛けている製品に付いて、机の上ではもちろんのこと、組み立て工場へ出向いて、現地まで来て、自分の目で現物を見て、頭の中へ叩き込み、理解を深めていった。なにかあると小生のところまで来て納得がいくまで質問して行った。
そんな彼を受け入れるのには時間がかからなかった。退職するまでの間、良く飲んだものだった。
S君は仕事以外でも、同じ職場はもちろん、他の職場の人たちとは中々飲む機会が無いからと、忙しい中時間を作り、くだらない話に付きあってくれたものだ、、、。そんなところもエリートだった。
長々と書くには無いが、小生が退職する日もS君は富山に出張していた。皆が泊まるところを、今日は大事な飲み会があるからと、わざわざ富山から小生の歓送会へ出席してくれたのだった。
それだけでもとてもうれしい事なのに、何も準備出来なかったからと言って、富山のなんとか焼きと言うぐい飲み『卯盃』2個を、世話になったお礼として一応記念品と言う事で、、、と言って頂いた。
今も時々女房や息子とこの盃を使って飲んでいる。
そんなS君から、今年は天候の関係で中々蜜の入りが遅くなった様なので、遅くなってしまったけど皆さんで食べて下さい。と言って蜜のたっぷり入ったりんごを頂いた、、、。
先ほど、女房と早々頂いたが蜜と一緒に、送り主と作り主の愛情もたっぷりと詰まって、甘さと一緒に幸せも頂いた、、、。
0 件のコメント:
コメントを投稿