来ては欲しくない事態が来てしまった。
肺炎で緊急入院して12日目、今日19時12分義母が皆の祈りも届かぬまま親父の元へ旅立った。
小生が女房と一緒になった33年前、小生は小学6年の時両親は離婚している。離婚と言うより母親が出て行ってしまった。
結婚する前に女房の両親に挨拶に行った時、女房の親父から自分の両親の様には絶対にどんな事があっても同じ様にはならない様にして下さい。これは俺と000(小生の名前)の男同士の約束だ。と言われた、、、、。絶対に幸せにして見せます、、、。と約束した、、、。今女房が幸せかどうかは解からないが、、、、。
それからずーっと、事あるごとに義母は陰日向になり支えてくれた。小生のおばあさん(離婚した母方の母親)入院した時も小生の親父が入院した時も親父は保険など入って居らず、貯蓄も無かった為、医療費他皆小生が面倒を見た。30歳前の若造にそんな貯金なども有るはずもなく、泣く泣く女房の親父に頭を下げて助けて頂いた。借りた金額は月々の給料から全額を返済した、、、、。
お袋は(義母)は親父に内緒で『わかって居たかも知れないが、、、)女房を通じて何かと助けてくれていた。子供が生まれ、なんとか自分の家も持てた、そして息子や娘も結婚した。
女房の兄妹は女ばかりの3姉妹である。女房が一番早く結婚した、、、。当然外孫ながら最初の孫は息子だった。息子が生まれた時も小生はトヨタに出張中で難産だった、息子は無事だったが女房は瀕死の重傷だった。そんな時もお袋がどんなに力になってくれたか知れない、姉さんから出血がひどくて血小板輸血をしてなんとか一命を取り留めたが今晩が山だと担当医が言って居るとホテルに電話が掛って来た。
すっつ飛んで帰り病院へ駆けつけると何本ものチューブで繋がれた女房がベッドに横たわって居た。その傍らにはお袋が気丈にしていた。懸命の看護が通じたのか翌日峠を越した女房が訳が解からないままベッドで目を明けて、まだ赤ちゃん抱いて無いの?、、、そう言ってから涙がこぼれてきた、、、、。その涙をお袋がぬぐっていた。息子が生れてから3ヶ月位はお袋に育てられたようなものだ。
自分のお袋見たいな義母だった、、、。今頃は親父と再会した頃かな?、、、、。お通夜が17日で告別式が18日に決まった。今は静かに自宅で眠っている、、、、。
沢山の優しさと愛情を有り難う、、、、。
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