お寺に着くと8時前本堂脇の主屋に向かい挨拶を済ませる。
一旦車に戻り花束と線香を手にご先祖様が眠るお墓へと向かう。
昨日女房が草むしりや掃除をしてくれたので綺麗だ。
手桶に水を汲み花立てに水を入れる。
花を手向けてから線香に火を点ける。
それを手向けてから手を合わす。
墓参りを済ませてから家に戻り、要らなくなった大き目の鉢に先日刈り取り乾燥させて置いたラベンダーを入れる。
小さな鉢には細かな用土を入れて側に置く。
一応バケツに水を入れて念の為足元に置いた。
ライターでラベンダーに火を点けると煙が上がる、燃え尽きる頃にまたラベンダーを追加する。
煙と共に微かにラベンダーの香りが漂う。
火が小さくなって線香に火を点ける。
火が点いた線香を先ほどの用土の入った鉢に立てる。
迎え火を焚いた後、仏壇にも線香を上げた。こうして迎え火を焚いて親父と小生を育ててくれた婆さんを迎えた。
と同時に日本酒が好きだった親父に冷えた七笑を小さなグラスに注ぎ線香と一緒に手向けた。
その後一休みしてからお世話になって居る畑の持ち主あるNさん宅へ親父に線香を手向けに行って来た。
Nさんは元の会社の同僚でもあり、小生の鮎釣りの先生だ。
Nさんの親父さんは元川漁師をして居たとか、釣りも上手かったと言って居た。
小生が中津川で竿を出して居ると様子をたまに見に来ては、小生が釣れない!と言うと、どれ貸してみろ!と言い小生の竿を手に取ると、観てろ!と言って直ぐに掛けてしまう。
オトリを交換するか?と言うと、まだ大丈夫だ!と言い同じオトリで何匹も掛けてしまう名人でもある。
そんなにオトリを交換して居ては売り物にならないだろ⁉️と言い、爺さんはなるべく傷が無い鮎を商品として扱って居たと言って居た。
親父の釣り方は今でも釣れない時や追いが悪く待ちの状態だと思い出しては真似して居る。
七人親父と呼ぶ内の一人だ。
その後は昨年5月に亡くなった仲人親のAさん宅へ線香を上げに行った。
Aさんは小生が入社して直ぐに配属された班を統括する組長だった方。
兎に角大人しい方だったがどの組でも人手が足りない時や作業が遅れたり、トラブルが起きたりすると直ぐにさり気なく一緒になり作業されて居た。
また腕も良く信頼されて居る方だった。
小生も経験と歳を重ね班のリーダー、班長、組長と責任ある立場になって行くにつれて仕事が多義に渡り色々な知識も必要になって来る。
単身赴任中も会社の了解を貰い図面を持って定年したAさん宅へ自宅へ帰る途中、夜遅く教えて貰いに寄ったものだ。
小生が主任になってからは専門分野で人手が足りない時や出張の時にスーパーバイザーや作業員とし手伝って貰った事があり、これで恩返しが出来たと思った。
近年は電話も年に数回程度になり、年賀状のやり取りでは元気そうだったが、後で家族の方から話しを聞くと闘病生活を送って入退院を繰り返して居たとの事だった。
それてゴールデンウィーク中でもあった為、また本人が誰にも知らせるな!家族で見送ってくれればいいと遺言の様に言って居たと聞いた。
ゴールデンウィークが明けて訃報を知り、仕事が終わり喪服を着て自宅へ伺ったのは葬儀が終わった日の事だった。
Aさんも七人居た親父の一人だ。今年は自分の親父、木曽の親父、NさんとAさんの四人の親父に線香を手向ける事が出来た。
四時過ぎに仕事が終わった女房が帰って来てから小生は畑へと出掛けた。
先日剪定したナスが鳴り始めて二本収穫、ピーマンは今が盛りだ。トマトも半分は虫に食われてしまって居るが脇芽を挿し木にして置いたトマトが少しずつ取れ始めた。
家に帰ると女房がまたピーマン!と言って居た。
それでも翌日は小生の好きな肉詰めピーマンを作ってくれた。
晩酌には先日買って来たつたむらや酒造のどぶろくを飲った。
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