それは感動的なウエディングパーティーの結末だった。5日日曜日の朝、降りしきる雨の中女房の実家に息子夫婦、娘夫婦が、また実家を継いでいる義妹(女房の妹)夫婦の息子夫婦が3人のいたずら坊主(3人とも男の子)を伴い、娘夫婦と義姉の(嫁ぐ姪の兄)長男坊が集まり、式場の送迎バスで栃木県足利市へ出発した。
台風接近中ではあったが往きの道中は然程台風の気配は感じなかった。式場に着いてから受付を済ませ、親族の控室へ。先ずは頃合いを見て係りの担当者が親族紹介のセレモニーへ、新郎方から各自自己紹介をして、新婦方が各自自己紹介をした。
続いて写真撮影、挙式と続き、ウエディングパーティーへ入る。新郎新婦入場し主賓は郵便局長さんが(内容は省略)スピーチをされた。≪挙式を挙げた本人たちに承諾を得て無いので本ブログ全体の内容はぼんやりと書かせて頂きます。写真も顔出しは控えたいと思います。≫続いて郵便局部長さん?が乾杯の音頭を執られパーティ―スタート。
ウエディングドレス、カラ―ドレス、和服と三度の衣装替え。その分十二分に飲んで食べる事が出来た。ケーキカット等一連のセレモニーが続いたが、小生を『ジン』とさせたのは衣装替えやセレモニー間で映し出される写真の数々だった。
思い起こせば彼女が幼いころ義兄は交通事故で亡くなってしまった。それから義姉は女手一つで甥と彼女(新婦)を育て上げた。その間彼女は小学校や中学、高校と登校拒否を繰り返したりしたと聞いていた。しかし写真に映し出される彼女は制服を着て友達と無邪気にピースサインをする普通の子だった。彼女の心の何処に行きたくない!と思う心が生まれて居たのだろう、(これを書きながらまた涙が溢れてきた、やばい、、!)
それから社会人となり、郵便局に就職した。大人しいイメージしかない彼女に窓口業務が務まるだろうか心配していたが配属されたのは郵便屋さんだった。そしてまた?バイクに乗ったと言う話も聞かなかったので、女房に思わずバイクに乗れるのか?と聞き返してしまった程だった。
しかしその心配も無用だった。彼女なりに成長して居たのだ、就職しバイクを乗りこなし町の郵便屋さんとしてしっかり自立して居た。そんな事を局長さんのスピーチの中で知った。
それから数分後、小生は完ぺきにノックアウトさせられてしまった。
最後のセレモニー、感謝を彼女の母へ伝える手紙だった。その内容は幼いころの様子、登校拒否、結婚に至るまで、その全ての場面で母親がいつも暖かく見守り、励ましてくれた事が書かれ、
それがすべて解かって居り母親の苦労に感謝して居たのだ。
それだけでやられた!思っていたら新郎新婦とご両親が見送りの準備に退席してからだった。大画面のスクリーンに映し出された写真の最後に義兄が一人で映し出された、写真と共に式からパーティ―に携わった人達や写真で紹介された人たちの名前が写しだされている。その最後に義兄の写真と共に名前が映し出された時にはこらえていた涙がどっと流れ来て止める事が出来なかった。(今も文字か霞んでいて文章にならない、、、、かも?)
彼女の幼い時から、義姉の(女房と結婚した時から』人生を知っているだけに(ほんの少しだけだが、、、)雨の日も、晴れの日も、そして辛かった日々は台風と共に去って行き、これからは彼と共に母を支え幸せな人生を過ごす事を期待する。是非幸せになって貰いたい一人である。
二人が出会った職場です。 |
お顔を見せれないのが残念、指輪の交換。 |
手造りのウエディングケーキ。 |
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