お盆で木曽に行く、、、。

投稿日:2018年8月13日

更新日:2019-11-19T14:20:53Z

木曽とこおしんづか

t f B! P L
昨日、今日で木曽に行って来た。

目的は親父に線香を上げに行き、家族の笑顔を見る事だ。

そう、民宿こおしんづかは小生の故郷そのものだ。厚木で産まれ厚木で育ったので小生には故郷として帰れる処が無かった。

17歳で木曽に初めて行き、予約は他の民宿に入れて居たが、その民宿でトラブルがあり泊まれなくなり、民宿こおしんづかにその民宿から移動して泊まった。

当時はヒゲ爺が居てヒノキ笠に名前をその場で書いてくれて販売して居た。夜になると夕飯を食べながらヒゲ爺が色々な四方山話をしてくれた。

千葉真一とカリーナ(車)のコマーシャルにも出演したという。撮影の合間に千葉真一が裏の川で岩名を釣ったとも聞いた。

小生たちが二十歳を過ぎるとヒゲ爺と酒を酌み交わした。それがいつしか親父に代わり、ご主人を親父と呼び、女将さんをお袋と呼ぶ様になった。

親父とはさんさい採りや猟にも行った事があった。猟の時期に行くと獲りたてのイノシシやシカ肉を刺身で食べたりした。勿論七笑いを飲みながら、、、。

その子供たちを名前で呼んだりしたが長男は兄貴と呼んで居た。その兄貴が結婚すると嫁さんを姉貴と呼んだ。

いつしかこおしんづかの家族全員が身内の様に接してくれる様になった。小生も結婚し子供が産まれ育って来ると、子供たちが親戚だと思い込んでいた程だった。

毎年、毎月行く事もあったが最近は年に2〜3回程度か?、今は代替りして兄貴が民宿親父をして居るし女将も姉貴が、それをお袋や子供たちが手伝って居る。

親父、お袋が歳を重ね、あちこちが痛み出し民宿を閉めると言う話が出て一時期は寂しい思いをして居たが、サラリーマンだった兄貴が勤めを辞めて民宿を続ける事となった。

身体を壊してからすっかり外に出歩かなくなった親父がまる三年前に亡くなった。お盆の時期になると線香を手向けに出掛けるのが日課になった。

今回も土曜日は先日の台風の影響で普段より増水した桂川で2時まで鮎釣りをしてこおしんづかへと向かった。この日釣った鮎は18匹、こおしんづかへの手土産だ。

宿に着いてシャワーを浴びたら兄貴が直ぐに冷えたビールを持ってきてくれた。それを片手で持ち外の物干し台へと向かう。周りの景色と川のせせらぎの音を聞きながら夕涼みに冷えたビールを飲る。

ビールを飲み終えてから囲炉裏の間に戻ると夕飯が始まって居た。皆さん黙々と食べて居る。小生のテーブルには一升瓶の七笑いがマイグラスと共に置いてある。

手酌で七笑い飲りながら岩魚を頬張る。少ししてから周りの皆さんにも湯呑みじゃわんを引き出しを開けて取り出し、七笑いを注いで差し上げた。すると湯呑みじゃわんを持ち上げた家族で来ていたお父さんが乾杯の音頭を取って皆で乾杯した。
お母さんや娘さんも美味しいと言って二杯目をお代わりした。和気藹々とした楽しい時間が過ぎて行った。

この日は何処の国かは聞かなかったが一組のカップルと四人の家族が泊まっていた。夕飯の〆はそうめん流しで皆さん喜んで居た。






久しぶりに少し飲み過ぎたようだ。

朝は6時過ぎに起きてから、雨が降って居たが裏の川に岩魚釣りに出掛けた。6時半過ぎから約9時半前までの3時間の釣り。

朝飯前に24.5㎝の岩魚と天魚を頭に16匹の釣果だった。




それから朝飯を食べた、食べ終わってから皆さん出掛けられたので仏壇の扉を開けて線香を上げさせてもらった。

10時半過ぎに沢山のお土産を頂き、妻籠宿のなかで丁兼により栗きんとんのお土産を買ってから飯田にある信州牛の直売所に寄り信州牛や腸詰めウインナーやステーキ用の肉を買って帰った。

談合坂手前で渋滞に嵌まったが何とか無事に帰って来た、、、。

ブログを書いている人

鮎の友釣り! チーム舞のレポート

このブログ「鮎の友釣り!チーム舞のレポート」は、鮎の友釣りを生き甲斐としている”Gin”が書いています。2007年のブログサイト開始時から鮎釣り釣果や自宅の寄せ植えなど、趣味を交えて、自身で経験したこと起こったことを綴っています。


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