女房が年末木曽に行くのなら里芋を掘って来て欲しいと言うので、ポリープ切除から6日目なのでそろそろ普通の生活に戻そうと、朝飯を食べてから散髪に行き、帰って来てから畑へ行き、里芋と貰っていけて置いた大根、牛蒡を掘り出して来た。
それに貰った白菜があったので、近所に住む会社の人と娘の家に持って行ってやっ
家に帰り、カーポートの中のカゴの中に里芋を仕舞い、大根、白菜、牛蒡は新聞紙に包み物置の中へ仕舞った。
家に上がるとテーブルの上に箱が一つ置いてある。
誰だろうと送り主を見ると、現役時代の顧客先の社長さんからだった。
ステンレス加工会社で愛川に会社がある頃から、小生が受け持った会社で、加工ラインを据え付けしてからのご縁である。
当時は社長さんとは恐れ多く話などした事は無かった。当時は設備担当者の次長や営業部長さんたちが窓口だった。
それから何台ものラインを導入して頂き、その都度小生や小生の部下だったS君と据え付け工事やオーバーホールを担当した。
その頃から、時折り様子を見に社長が来られる様になって挨拶を交わしたり、進行具合をご説明したりした。
小生が会社を退職するにあたり、その旨を伝えて挨拶に行くと、当時の社長(退職時は会長)と今の社長、営業部長、製造部長、次長や課長さんたちが小生を待ってくれて居た。
そうそうたる顔ぶれに恐縮したのを覚えて居る。会長から是非うちの技術スタッフとして来てくれよとお誘いを受けたが暫く休んで考えます。と確か返事をしたと思うが、、、
挨拶をして帰る時に会長から、今だから言えるが、記念品と餞別を頂いた。(遠慮したが、同行した営業部長が今までの君の貢献に対しての会長の気持ちだから遠慮しないで頂きなさい。と言われたので。)
その年の10月頃だったか?、営業から会長が亡くなられたのを聞いた。
慌てて香典を顧客先の会社へ送った。
会社へは今までも設備担当者の次長へ、皆さんで食べて下さいと小生が釣った鮎を100匹前後送ったりして居た。
それを会長も社長も持って帰って食べて居たと、社長から香典返しが届き、届いた旨のお悔やみの電話をした。
その時に会長が美味しいと言って食べて居たと言われた。それ以来毎年社長宅に、当時若造だった小生を此処まで育てて頂いたお礼として釣り溜めた鮎を送って居る。
今年もお礼の電話があり、私が帰った時には、家族が早速美味しいと言って食べて居たと、〇〇さんの鮎を食べたら他の鮎は食べれ無いとうちのが言って居ると喜んで頂いた。
りんごジュースが届き早々お礼の電話を入れると、まだ小さなお孫さんが居るとおっしゃって居られたからと、ご配慮頂きりんごジュースにして頂いた様だ、、、。
小生もそんな気使いの出来る人間になりたいものだと改めて思った次第だ。
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