色々考えた結果退職するにしました。
退職に至るまでには、色々考えて、家族とも相談して、最終的には自分で結論を出しました。
決めた以上はあれこれ言っても始まらないので、何も書きません。
今日を迎えるまでに、お世話になった顧客殿や、支えて頂いた外注関係者の方々、一緒に頑張って頂いた仲間の皆さん、本当に有り難う御座いました。
31日を迎えるまでに、顧客殿、外注先の方々、職場の仲間、仕事の仲間、数々の慰労会、送別会、餞別、記念品、商品券等々を頂きました。本当に有り難う御座いました。
思い起こせば42年前、家に近いと言う事で、日立系列の会社に入社致しました。そして会社が合併し久里浜に移動になりました。
当時は子供が小さく、思春期を迎える前なので、単身赴任で乗り込みました。それから数年で、系列4社が合併し日立に赴任になりました。此の時も単身赴任で行く事になりました。
2000年1月11日に日立に赴任し、あッと言う間に15年が過ぎました。思えば遠くに来たもんだ、故郷離れて15年。そんな歌が聞こえてきそうです。
最初は志学寮と言う、小高い山の上にある、日立の寮に入って居ましたが、寮生が少なくなり取り壊しが決まりました。それからは、毎日に飲みに行って居た、居酒屋、あかつでたまたま空き部屋が出たので、家のマンションに来なよ!と親父さんから言って貰い、あかつマンションに入居しました。
単身赴任が15年も続けられたのは、あかつさんのお陰だと思って居ります。日立に行っても出張が相変わらず多く、ここ十年では年間平均176日出張に歩いて居りました。特にゴールデンウイーク、盆暮れ、正月休み、夏休み等々、連休が続くと必ずと言って良い程出て居りました。
子供が小さい頃は大変だったと思います。急病の時や親父や婆さんが逝った時も女房に看取らせました。事ある毎にいて欲しい時にいつも居ないんだから、、、、。と言って女房には泣かれました。その都度何も言えない自分がいました。
それからいつしか、子供達も成長しなにがなんだか解からない内に結婚してしまいました。しかも同じ年に二人とも結婚して女房が家には一人になってしまいました。そして時を同じく体調も崩してしまいました。
そんなこともあって、15年間苦労をさせた分、まだ動ける内に女房孝行も良いかなと思い決心をしました。退職届を提出した時は部長からも課長からも、廻りの人たちからもう一度考え直す様に説得されましたが、一度決めた意思は固く、考えは変わりませんでした。
そんな訳で、丁度42年間、本当に有り難う御座いました。支えて頂いた全ての方に有り難う御座いました。皆さんの益々の発展と健康を祈念して居ります。
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