送別会「仲間編」パートⅠ

投稿日:2015年4月2日

更新日:2019-11-22T15:04:41Z

仕事 小生の出来事

t f B! P L
3月27日(金)今日は仲間との送別会。

昨年12月、退職を決意した時に、本当に親しい友人と仲間には其の旨を伝えてあった。
それが仲間内で連絡が言ったのか?本当の処は解からないが、、、、。小生が伝えた人には他言無用と伝えてあったからだ。

設計部のT技師から、〇〇さん退職すると言う話を聞いたんだけど?、、、、。〇〇さん辞めたら俺たちみんな困るんだけど!、居なくなった後は誰に相談すればいいの?本当なの?と連絡が有った。退職届けは提出して有るけど、いつになるかはこれから相談になると思う!と返事をした。

それから3月末まで、年休を消化してでも籍を置いておいて欲しい。との会社の要望が有ったので、今までお世話になった職場なので意向を尊重してそうすることにした。しかし年休はたっぷりと残して退職した。(時間がなく、今日までブログの更新を出来なかったのでそう書かして貰う。)

その事を知って設計部のT技師が幹事を買って出て、盛大な送別会を開催してくれた。開催に当り皆さんにメール配信してくれた、タイトルが『〇〇さんを慕う会』と言う案内だった。と送別会の時にスピーチをして頂いた、設計部で長年活躍され今でも、大きなプラントや難プラントを受注するとアドバイスや意見を求められて居て、沢山の技師から信頼のある大先輩から、俺もいくつもの送別会や何人もの部下や人を見送って来たけど、『〇〇さんを慕う会』とタイトルの着いた送別会は初めてだ。立案した方も素晴らしいけど、仲間をそうした気持ちにさせる君は素晴らしい!とコメントを頂いた。

そして嘗ての仲間たちが大勢あっちこっちの工場から、また東京から、横浜から集まってくれた。しかも宿まで取って参加してくれた。また退職された先輩方が4名も顔を出してくれた。そのメンバーが品質保証部、設計部、営業部、外注先の営業部長等々の顔ぶれだ。中には大きなスーツケースを引きずり出張先から駆け付けて参加してくれた技師もいた。また驚いた事にそれぞれの部長、主任技師、技師、主任の方達や経験者ばかりで大変恐縮し、この方たちに支えられて仕事が出来て居た事を再確認した次第だ。この仲間が居たからこそどんな難関だって突破してこれたのだと改めて思った。この方たちとはこれからも良い関係で繋がって行けたら良いと思う。

42年間の間、頑張れたのは皆さんのお陰です。有り難う御座いました。今後も良い連絡を首を長~くしてお待ちして居ります。


幹事をしてくれたT君と退職された先輩も顔を出してくれた。

横浜から駆け付けてくれたK君、忙しい中掛け付けてくれたT先生とU君とS君。

ジャスコのK部長とT先生。

東京から駆けつけてくれた営業部のY君。

Y君、S君、U君

大先輩のHさんも来てくれた、富山でお世話になったIさん、相模原でトラぶった時は岐阜で釣りをしている中呼び出された事があった、共に戦った有志だ。愛川に居た頃昼休みはサッカーに夢中になったN君、すっかり立派になってしまった。


後ろ左側のNさん、昨々年結婚まで話が進んで居たのに休みもなく深夜まで残業し涙を流した事は残念でならない。仕事がすべてではないと深夜まで酒を飲んで語り明かした事がある。とても責任感の強い方だ。頑張らなくても良いんだぞ!

大阪夏の陣を共に戦ったS君(一番手前)、なんでも相談のできる大先輩Tさん(左3人目)会社の中では今でも一目置かれ、大きなプラントや難プラントは皆相談に行く。頼もしい先輩だ。右2人目は仕事も飲むのも気軽に声が掛けられる同級生のSさん。

S君が代表して花束を贈呈してくれた。S君は入社して現場実習に小生の処に来た一人、実習生を残業させたのは今でも俺一人だ、勿論その後の飲みニュケーションも実習の一つで焼き肉に行った。それからサッカーに自衛消防隊、釣り同好会、等々と仕事以外でも長い付き合いになった。いまは技師になり若い人をリードする立場になった。

ジャスコのS君、愛川の工場時代は検査部で一緒に仕事をしたが、今は営業部長だ。来て頂いたのは嬉しかった。

今回の発起人、T君。有り難う御座いました、最後に良い思い出が出来ました。

全員に感謝をこめて有り難う御座いました。最高~!

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鮎の友釣り! チーム舞のレポート

このブログ「鮎の友釣り!チーム舞のレポート」は、鮎の友釣りを生き甲斐としている”Gin”が書いています。2007年のブログサイト開始時から鮎釣り釣果や自宅の寄せ植えなど、趣味を交えて、自身で経験したこと起こったことを綴っています。


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