25日の水曜日、本社にて諸々の退職手続きを行って来た。
この日は小生を含め三名居たので13時30分から17時近くまで掛かってしまった。内容は会社関係から、組合関係、日立保険サービス関係と手続き書類の説明から、それの署名捺印といった具合いだった。いよいよ残すところ4日の出社となりました。
そして今晩は、職場の仲間が送別会を実施してくれた。
会場は昔から職場の仲間が集まる居酒屋だ、この店は小生は初めてだけど、O組長が馴染みの店だ。メンバーは20名で予約してあったが出張等で18名の出席者。
テーブルにはところ狭しと沢山の料理が並べられ全員揃ったところで幹事さんが簡単に挨拶し、続いて部長から小生に付いての諸々の紹介等々のコメントや挨拶、御礼の言葉で労を労って頂いた。その後課長の乾杯の音頭で慰労会が始まった。
色々な方から労を労って頂き、また色々な想い出話をしながら 酒を酌み交わした。今日ばかりは普段あまり飲まない人も杯をあけてくれた。
幹事によると飲み放題でお願いしてあると言っていたが、部屋に備え付けてある冷蔵庫の中のお酒が無くなったと言って居た。乾杯はビールで始まり、小生は途中でお酒に切り替えた、皆さんも今日ばかりは小生に合わせて冷で付き合ってくれている。
冷酒の二合瓶が25本くらいあったのが無くなり、四合瓶が4から5本、それでも足りず一升瓶が2から3本くらい空けたようで冷蔵庫の中のお酒がワインも含め全て無くなったようだ。
これだけの職場のメンバーと色々と話をしながら飲めるのはこれが最後となるだろう。とても想い出深いひと時となった。そんな中、記念品の目録を頂いた。そこに書かれて居た品名には「高級鮎竿の一部分」とあった、鮎竿を購入する時に足しにして下さい。との事だ。
和気藹々の内にお開きとなり、13名の仲間たちと二次会に、馴染みのスナックへ行きカラオケやより深いトークを楽しんだ。色々な想い出話の中で涙を流してくれる人もいて、いつも仕事に遊びに、酒飲みなどにも真っ向勝負で向き合ってきた事を解って貰えた事が嬉しかった。
想い出話は尽きないので、今晩は水曜でもあり、明日は仕事なのでお開きを主賓である小生から切り出した。今迄いろんな方を送って来たが、遂に送られる側に廻ったか?と思った途端、頬に涙がひとしずく流れてきた。日立と言う看板を背負って42年間のサラリーマン人生だった。最後に感謝を込めて有難う!
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一番若いK君、夜勤なのに参加してくれたS君、アメリカデビューのH君 |
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今一番活躍中のS君と、勝田にある工場で活躍中のS君も参加してくれた。 |
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一番若いG君、やはり勝田にある工場で頑張っている。黙々と仕事をこなすH君。 |
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組長のOさんと大型プラントの纏めに活躍中のKさん。夜勤なので一人素面のS君(前出) |
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製作課長のMさん、部長のTさん、生産管理課長のAさん |
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課長二人と組長 |
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全組長のKさん、今日は大洗の職場から駆け付けてくれた。 |
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部長と組長、最強タックに後を託した。 |
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大先輩のNさん、今でも学ぶ事が多かった。 |
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こちらも大先輩のKさん。 |
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一番付き合いの長いS君、全ての技術を教え込んだつもりである。期待している!怪我をしないで頑張っつて欲しい! |
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難問多発で奮闘中のA課長、ここ一年間は富山に通って大型プラント纏めに奮闘中S君、4月半ば頃2度目のアメリカ行きが検討中のH君、この仕事も小生からバトンタッチした物だ、航空業界は君の手に掛かっている。なんチャって、、、!頑張って欲しい、ドーンと構えてみんなをサポートして居るKさん、バックアップ宜しくお願いします。
そして、今もあっちこっちの現地で頑張って居る皆さん、立場上無理ばかり言って来ましたが皆さんがそれに答えてくれたからこそ、俺は業務を全う出来ました。そして大きな事故や災害も発生せず42年間勤められた事は皆さんのお陰です。これからも我々の手で作り上げた機械が稼働している限り、可愛がりメンテを頼みます。 最後にみんな有り難うございました。 |
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