携帯が着信やメールでいっぱいに成り電源がレベル0にまで成ってしまった。
それは小生が、今は無き日立多摩工場(合併により社名変更になった。小生の勤めて居た建物は無くなった。)に入社して以来の42年間、(実際には39年位か?)お世話になり、勉強させて戴いた顧客先の会長が亡くなった。と言う訃報だった。
この方は顧客先の当時は社長だった方で、当社の機械やラインを新設して頂き、その据え付けや調整、オーバーホール、時には不具合対応で小生が担当した。
ここの会社と共に勉強させて頂き、成長出来たし『退職したが、、、』在職中の自分がやってこれたのだと思う。
据え付けやオーバーホールは勿論の事、不具合対策でも現場まで足を運んで戴き、急な対応で申し訳ない。とか連休中、皆が休んでる中やって頂き申し訳ないなぁ~とか、不具合で当社が迷惑を掛けて居るにも関わらず、労を労う言葉を掛けて頂いたり、常に作業員の事を気に掛けて頂いたりした。
小生が退職する時にも、顧客先の担当者に挨拶に行くと連絡をいれて置いた。が其の担当者が〇〇(小生の名前)が退職するので挨拶に来る事を、顧客先の主だった方に連絡を入れて下さった。
車が渋滞し約1時間到着が遅く成ってしまった。急いで担当者に挨拶に行くと会長室に通された。
そこで待って戴いたのは会長、社長、工場長、次長、製造部長、製造課長だった。
この面々に大変恐縮し、また1時間遅れた事にこれだけの面子を待たせた事にも大変恐縮したのを覚えている。
会長は瀬戸内海に浮かぶ島から「ソーラー発電をしている」たまたま帰京して居てお忙しい中待っていて下さったのだ。
そして42年間の労を労い、世間話をした後、その気ならうちに来てくれよ。とまで言って戴いた。
最後に記念品代わりに餞別を頂き、ご自身で書かれた本に自筆でその場で小生へのメッセージをしたためて下さり、その本を記念にと戴いた。
お世話になった顧客殿の社名をこれに書いていいのか迷いましたが、会長のご冥福をお祈りする意味も含めまして実名で乗せる事と致しました。
最後に会長が残されました会社の益々のご発展と会長のご冥福を心からお祈りいたします。
会長がお書きになった本 |
この会社の製品を使用した建築物が紹介されている。 |
此処の会社の主力ラインが紹介されている。 |
瀬戸内海に浮かぶ無人島を購入しソーラー発電所を建設。 |
本の最終ページに小生へメッセージを書き込み、この本を頂いた。 |
0 件のコメント:
コメントを投稿