故郷より柿が届いた

投稿日:2021年11月5日

更新日:2021-11-05T01:49:07Z

小生の出来事 木曽とこおしんづか

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 小生は厚木産まれで、産まれた生家は今はもう無い。


結婚して暫くは社宅に入って居たが、肺癌になった親父の面倒を診る為に一軒家を借りて、そこで毎日女房と交代で北里大学病院へ親父を連れて行った。


その後親父が亡くなり、お世話になった色んな方から家賃を払うなら家を買ってしまった方がいいと言われ続けて居たので、落ち着いてから翌年中古住宅を購入して今の処にするで居る。

したがって故郷は無い。が高校生のころから仲間と木曽路に旅行に行き、何んとなく木曽の良さを知る。


気にいると春夏秋冬行って見たくなり、それぞれの四季の写真を当時はスライド写真を撮って居た。


気に入った写真が撮れるまで10年程、年に何度となく通った。すると定宿が出来、宿の家族とも気心が知れる様になって居た。


11年目に木曽11宿のお世話になった方を周り集大成のスライドを障子や白いシーツなどに写して廻った。


写真を一区切り付けて後は定宿の裏の川で、当時トヨタカリーナと言う車のコマーシャル撮影で訪れて居た千葉真一さんが撮影の合間に釣りをしてイワナを釣り上げたと言う話を定宿の当時の親父から聞いた。


渓流釣りを趣味にして居る小生には嬉しい情報でこんな小さな川に大きなイワナが居るのかと早々に竿を出した。


それからも出張の多い小生が代休を取ると平日は女房が相手をしてくれ無いので、一人釣り支度をして木曽へと出掛けて居た。


あれから48年の付き合いになり、いつの頃からか当時の主人を親父と呼び、女将さんをお袋と呼んだ。そこの長男を兄貴と呼び、その奥さんを姉貴と呼んだ。


何度か宿を閉めると言った事もあったが、常連さんの強い要望やお袋と姉貴が頑張って続けると言う意思を当時サラリーマンだった兄貴が会社を辞めて民宿親父として再スタートをし、宿も水回りに関わる部分をリホームして新たにスタートをし、今でも続けて営業して居る。


小生の息子や娘も小さい頃は親戚だと思って居た。そんな子供たちも結婚して共にパートナーや子供たちを連れて何度となく家族で訪れたりして居る。


そんな故郷から柿が届いた。

兄貴からのメールでは渋柿を送ったので、干し柿作りに挑戦してと、、、。


気候や最近見かけた猿などの被害など考えると我が家で作れるか心配したが、心配ばかりでは進まないので、届いた以上は作る事にした。


里芋と柿が沢山入って居た。


手のひらに乗せるとこんなに大きい。

ヘタと皮を剥きました。

煮沸消毒してから二つを紐で縛りハンガーに吊るした。ベランダに干そうと思ったが女房に洗濯物が優先と一括され、カーポートの中に干した。



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鮎の友釣り! チーム舞のレポート

このブログ「鮎の友釣り!チーム舞のレポート」は、鮎の友釣りを生き甲斐としている”Gin”が書いています。2007年のブログサイト開始時から鮎釣り釣果や自宅の寄せ植えなど、趣味を交えて、自身で経験したこと起こったことを綴っています。


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